「遥かなり台湾」より転載

台湾は海で囲まれているのに、なかなか海を見る機会がなく、先月は海を見るために二度も海線に
行ってきました。海線には、西部幹線(台北、高雄間)で一番海に近い駅(新埔駅)があるからです。
最初は台中から彰化へ、そこで海線に乗り換えて、各駅停車の電車に乗ること約一時間で着きました。
そこから折り返してまた同じルートで台中に戻ったのですが、二度目は台中から北上し山線と海線の
分岐点である竹南駅に向かい、ここから海線に乗り換えて新埔駅へ、そしてそこからは前回と同じく
彰化経由で台中に戻ってきた次第。そう、まるで都内の山手線のようにぐるーと回ってきたのです。
 鈍行列車に乗っての半日だけの小さな旅でしたが、海線は日本統治時代の1922年(民国11年)に
開通し、その時に建てられた木造の駅舎が多く残っていたりして、車窓から見える刻刻とかわる
景色を堪能してきました。

 さて、二度も訪れた新埔駅周辺を紹介しましょう。この駅は海辺からわずか約500メートルだけで、
駅舎に降りるプラットホームの階段から見えるものは海(台湾海峡)だけ。駅前には、コンビニも
バス乗り場も何もありません。あるのは民家一軒だけ。駅前を出ると線路と平行して一本の細い道
路がありました。海を右手に見て南方向に歩くとレンガ造りの廃屋の前には案内板を手にした可愛
いい鉄道員のマスコット人形が立っていました。案内板には「右→駅、左→秋茂園」と書いてあり、
矢印にしたがってそのまま歩くこと5分、秋茂園に到着。秋茂園は日本で哲学博士の称号を取得し
た黄秋茂先生が民国64年(1975)に開園した今でいうテーマパークなのです。

入場料無料で園内には仏像やマリア様、孫悟空などの彫像がたくさん。日本の灯篭、桃太郎、
金太郎までありました。その中で先生の人生哲学をうかがい知る石碑が旧仮名遣いで書かれてあった
ので、現代風に直してそれを紹介したいと思います。
「女なら」
女なら嬉しい時は明るく微笑みましょう
悲しい時は涙でほほを濡らしましょう
辛い時はじっと月をみつめてみましょう
怒る時は冷静に話しかけましょう
寂しい時は花に語りかけましょう

「男なら」
男なら嬉しい時は腹をはって笑おう
悲しい時は思い切り涙を流そうよ
辛い時は歯をかみしめて立ち上がろう
怒る時は台風の目になろう
寂しい時は星空を仰ごう
中でも気にいったのは次の「私の心」です。
「私の心」
恩に着せず信義を重んじ
代償とす期待もしない
ひたすらに愛といたわりを施し
人類社会にて互恵精神を広め
この楽園にありて心を安らぎ
共に健康長寿を伏して祈り
神様のお恵みに感謝を捧げます

一通り見学したあと秋茂園を突っ切ると海岸線に平行してサイクリング道路になっていて、目の前に
ある堤防にのぼると、眼下には台湾海峡が広がっていました。
「この海の向こうは中国大陸なんだ」と思ったら、ふと日本教育を受けた人の詩のことが頭に横切り
ました。
「私たちは、戦後は中国人にされてしまい、学校の先生は言った。『いいか、この海の向こうには
お前たちの祖国中国があるんだ』と」。

また、10数年前に元日本海軍兵だった人たちの集まりである「海交会」の親睦旅行について行った
時のバスの中での出来事を思い出しました。車内は最初から最後までカラオケで軍歌を歌って盛り
上がっていました。そして海を見ていると、今でも強烈な印象を残した歌~最後に大声で合唱して
いた「台湾軍の歌」と「武田節」の歌が聞こえてくるような気がしたのです。

「太平洋の空遠く 輝く南十字星
黒潮しぶく椰子の島 荒波吼ゆる赤道を
睨みて起てるみんなみの
護りは我等 台湾軍
ああ 厳として 台湾軍」

「祖霊(それい)まします この山河
敵にふませて なるものか
人は石垣 人は城
情けは味方 仇は敵  仇は敵」

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