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四、「船中八策」に託した私の日本への提言

 明治維新は、東西文明の融合を促進し、日本をして封建的制度から近代的立憲国家へと発展していく方向を決めた政治改革でした。それにより、日本が世界五大強国に列せられる基礎が作られたのです。その後日本は、第二次世界大戦に敗戦国となりましたが、焦土の中から立ち上がり、ついに世界第二位の経済大国を創り上げました。政治も大きく変化しました。民主的平和国家として生まれ変わり、世界各国との友好・共存関係を築いてきました。

 しかしながら、現在の日本は戦後に於ける種々の束縛から抜け出ることが出来ず、窒息状態に置かれています。
 今こそ、明治維新と並びうる平成維新を行うべき時でしょう。そこで、江口克彦先生に倣って、私も竜馬の「船中八策」に託して、今後の日本の政治改革の方向についての私見を、若い皆さんにお話してみようと思います。
日本の内情について台湾人である私があれこれ申し上げるのは差し出がましいことと承知してはおりますが、日本の外側の、心ある友人からはこう見えるということでお聞きいただければと思います。
ではまず、「船中八策」の第一義です。 

 第一議・・天下の政権を朝廷に奉還せしめ、政令宜しく朝廷より出づべき事。
 何よりもまず、主権の所在を正さねばならないということです。戦後の日本は完全な自由民主主義国家となりました。しかし、政治家と霞が関官僚と一部の業界団体が癒着する既得権政治が今なお横行しており、真の意味で国民主権が確立しているとはいえないのではないでしょうか。

 官僚主導政治を許している根本原因は、私の見るところ、総理大臣の政治的リーダーシップの弱さにあります。日本の総理大臣は、アメリカ合衆国の大統領や台湾の総統のように、国民の直接投票によって選出されていません。小選挙区比例代表並立制という特殊な方法で衆議院議員が選ばれ、その議員の投票結果で総理大臣が決まっています。総理大臣の政策実践能力が弱いのは、ひとえに国民の直接的な支持を得ていないことによるものと考えます。

 しかも、一般の国民が、国会議員になることは容易ではありません。その典型が世襲議員ですが、彼らは、父親から、たとえ能力がなくとも、旧来の地縁、血縁を引継ぎ、担ぎ上げられ、議員に決まってしまっています。いわば、烈々たる使命感、日本という国を良くしたい、世界から尊敬される国にしたいという強烈な志を持って政治の道に進むのではなく、単なる職業とか家業として政治家になる議員が多いのではないでしょうか。

 このような状況は主権在民という民主主義の原則に反しているのではないでしょうか。また、それゆえに、たとえ総理大臣になっても、志も、実践能力も弱く、国民の期待に、ほとんど応えることもできないということになるのではないかと思うのです。

 それは、やはり国民の意思を直接受けていない総理大臣、いわば、総理大臣の後ろに国民がいないからであり、また、それゆえに、国際的においても、自信に満ちた発言や提案をすることも出来ず、さらには世界各国から、必ずしも日本が尊敬されない原因になっているのではないかと思うのです。

 
 第二議・・上下議政局を設け、議員を置きて万機を参賛せしめ、万機宜しく公議に決すべき事。
 竜馬は立法府について言及していますが、広い意味での「国のかたち」を論じたものと解釈できるでしょう。今日の日本の「国のかたち」の最大の問題は、都道府県行政が、法的にも制度的にも、霞が関官僚の意向にしばりつけられており、地域のリーダーが十分実力を発揮できなくなっていることではないかと思います。

 日本の雑誌、新聞を読んでいると、このところ、日本では、勇気ある知事の人たちが出てきて、国政にも影響を与えるようになってきているようです。すみやかに霞が関官僚体制、言い換えれば、中央集権体制を破壊して、「新しい国のかたち」に転換する必要があるのではないかと思います。最近、日本では、地域主権型道州制の議論が盛り上がりを見せているようです。その方向で、日本は「国のかたち」を代えることが望ましいのではないでしょうか。

 地域のことは地域に任せ、権限も財源も委譲する。そして、それぞれの地域が自主独立の精神で独自の政策を展開し、競い合って日本を高めていく。社会の閉塞感を打ち破るには、中央集権体制を打破転換する地域主体の発想が不可欠でしょう。若い皆さんが、先頭に立って、新しい国・日本をつくる活動を展開されることを期待しています。 


 第三議・・有材の公卿・諸侯及天下の人材を顧問に備へ、官爵を賜ひ、宜しく従来有名無実の官を除くべき事。
 資源を持たない日本にとって、人材こそが何よりも重要であることは言うまでもありません。日本の未来を担う人材をどう育成していくか。日本においては、日本人の高い精神性と自然とが調和して、禅や俳句など、独自の美意識をもつ文化、芸術が生み出されてきました。こうした日本文化を背景に、品格と価値観を、よくわきまえた教育者が、教養を中心に教えていたのが、私の受けた戦前の日本の教育でした。

 これからの日本の教育は、高い精神性や美意識といった日本人の特質を更に高めていくものであるべきでしょう。そのためには、戦前の教育の長所を思い起こし、戦後のアメリカ式教育から離脱し、日本本来の教育に移行していくことが必要です。

 安倍内閣時代に教育基本法の改正がなされましたが、今後更に日本の伝統文化に適った方向に教育を改革していくことが求められるのではないでしょうか。私は日本人の精神性や美意識は、世界に誇るべきものだと考えています。


 第四議・・外国の交際広く公議を採り、新に至当の規約を立つべき事。
 現在の日本外交は、敗戦のトラウマによる自虐的、かつ自己否定的精神から抜け出せていないように思います。反省は大事なことです。しかし、反省も過ぎては自虐、卑屈になってしまいます。自虐、卑屈の精神では、健全な外交は不可能です。そのような考え方では、世界中から嘲笑されるばかりです。事実、いまだかって、私は「尊敬できる日本」という言葉を聴いたことがありません。
 
 アメリカへの無条件の服従や中華人民共和国への卑屈な叩頭外交、すなわち、頭を地につけて拝礼するような外交は、世界第二位の経済大国の地位を築き上げた日本にそぐわないものです。
 特に、これからの日本と中華人民共和国との関係は、「君は君、我は我なり、されど仲良き」という武者小路実篤(むしゃこうじさねあつ)の言葉に表されるような、「けじめある関係」でなければならないと思います。

 この言葉を、先日、私は「台湾は中国とけじめをつけて付き合わなければならない」というスピーチのなかでも使いましたが、中国の将来の不確実性を考えれば、日本も台湾も、目の前の「中国のにんじん」に幻惑されず、「君は君、我は我」という毅然とした、主体性を持った態度、そして、そうでありながら良き関係を構築することが必要と考えます。

 これまで日本は、外交において、相手の主張を唯々諾々(いいだくだく)と受け止め、できるだけ波風を立てないよう留意してきたと見受けられます。しかし、残念ながら、いくら謙虚さを示しても、外国人には理解されず、そのような態度姿勢は、外国から、かえって軽んじられ、軽蔑されるということを、皆さん方はしっかりと認識しておかなければならないでしょう。今こそ日本は、自主独立の気力を持って、また、主体性を持って、いずれの国とも、積極的な堂々たる外交を展開すべきだと思います。

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