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出版 並木書房(2006年7月)
著者 林 建良

http://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%82%88%E3%80%81%E3%81%93%E3%82%93%E3%81%AA%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E3%81%A8%E3%81%A4%E3%81%8D%E3%81%82%E3%81%88%E3%82%8B%E3%81%8B-%E6%9E%97-%E5%BB%BA%E8%89%AF/dp/4890632018/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=books&qid=1208414945&sr=8-1

第5章 台湾の独立は日本の国益につながる  

   国民党政権の誕生は日本の悪夢の始まり
     
7、日台共栄圏を構築せよ!

●「大東亜共栄圏」構想の原点に立ち返れ

 米国の格付け会社「ムーディーズ・インベスターズ・サービス」は、各国政府の発行する国債の信用度をランク付けしている。上から順に「Aaa」「Aa1」「Aa2」「Aa3」「A1」「A2」「A3」「Baa」「Bb1」などと格付けされるが、二〇〇二年五月三一日、このムーディーズが日本の国債の格付けを「Aa3」から「A2」へ二段階引き下げたことがあった。

 これで日本の国債の格付けは、いわゆる先進諸国がかつて一度も経験したことのないレベルにまで落ち込み、チェコより低い水準になった。同格として並んだのはポーランドや南アフリカで、以前は「革命」や「アパルトヘイト」で一種の騒乱状態にあった国々である。

 アジア諸国の経済が上向きになっていた当時、日本の不甲斐なさは一段と際立つことになってしまい、財務省は国債の格付け引き下げに強く反発したが、日本を見る国際社会の目は厳しさを増した。

 それから四年経った二〇〇六年現在の日本の格付けはどうかというと、ポーランド、イスラエル、ギリシャと並ぶ「A2」のままであり、アメリカ、ドイツ、イギリス、フランスの「Aaa」やベルギーの「Aa1」、イタリア、ポルトガルの「Aa2」、スロベニア、台湾、香港の「Aa3」、チェコ、ボツワナ、エストニア、チリの「A1」よりも下で、相変わらず低い。

 戦後の日本は、国際政治に目を向けることなく、「エコノミック・アニマル」と言われるほど経済に専念してきた。そして日本は、短期間で廃虚から立ち上がり、世界第二位の経済大国にのぼり詰めた。眩しいほどの経済発展に成功した九〇年代までの日本は、「ジャパン・アズ・ナンバー1」と持ち上げられ、我が世の春と酔い痴れていた。

 しかし、当時の日本には傲慢さと享楽主義こそあふれていたが、アジアを含めた国際問題に一肌脱ぐ気概はなかった。バブルがはじけてからの日本は一転して自信喪失に陥った。それは、戦後日本人の精神構造の脆弱さを証明しているようだ。

 二〇〇二年の国債格付けの引き下げは、さらに病弱な日本社会に追い打ちをかけたが、経済の分野でしかプレイしてこなかった日本を、気概のある国に方向転換させるいい機会でもあった。

 当時、私はある雑誌に次のように書いたことがある。

 「構造改革なくして、成長なし」は小泉政権の一番のスローガンだ。痛みを伴っても、大改革の必要性を大方の国民が認めている。しかし、小泉政権の支持率はどんどん下がっている。これは蕫ワイドショー政治バブル﨟がはじけたためだが、問題の核心は改革の先が見えないことである。国民に痛みを求めるなら国家目標を示すのがリーダーの責務だ。自信を持って目標を示せるリーダーであれば、国民は痛みに耐えながらも一緒に頑張ってくれる。国家の将来像を示すことなく、スローガンだけが先行する政治は虚像政治と言ってよかろう。

 虚像政治を実像政治に転換させる戦略の一つは、日本人の蕫サムライ精神﨟の気概を喚起することである。それに一番ふさわしく壮大で実行性のある構想は「大東亜共栄圏」構想ではなかろうか。「大東亜共栄圏」構想を復活させることこそ、日本再生の早道だ。
 「人間でも国家でも、失敗の経験は貴重なものです。大失敗は滅多にするものでも、すべきものでもないのですから、それから教訓を学び取らない手はありません。しかし、戦後の日本が学んだのは、戦争の悲惨さと、もう戦争は嫌だということだけで、あれだけの戦争をしながら、これほど学ばなかった国も少ないと思います」

 元駐タイ大使の岡崎久彦氏が産経新聞の連載「百年の遺産」にそう書いていた。もっと惜しむべきは、戦前の日本にあった貴重な構想が終戦と共に葬り去られたことである。「大東亜共栄圏」構想もその一つで、その構想の原点であったアジアのリーダーとしての日本の度胸と気概もだ。「大東亜共栄圏」は、「大東亜戦争」と混同され、「大東亜」の表現自体が悪と見なされた。戦後の日本では、こうした言葉のタブーが意図的に作り上げられ、日本人の自由な発想もそれによって制限され、日本のスケールそのものが小さくなってしまったのだ。

●日本はまず台湾と自由貿易協定を結ぶ

 今でも日本再生の早道として、私は「大東亜共栄圏」構想の復活を願っているが、李登輝前総統はかつて中嶋嶺雄前東京外大学長との共著『アジアの知略』のなかで、日本はASEAN(東南アジア諸国連合)と連携して「アジア共同通貨」(ACU=Asean Currency Unit)を作るべきだと主張していた。実際、「アジア共同通貨」に「自由貿易地域」と「ビザなし人的往来」を加えれば、EUのアジア版ができ、「大東亜共栄圏」の精神に近いものとなる。

 形だけをみると似たような構想は、二〇〇五年マレーシアで開催した東アジア共同体予備会議である。しかし、それが世界最大の一党独裁国家中国によって主導されるとなれば、まったく意味の違うものになることは前述したとおりである。東アジア共同体は中国と日本外務省のチャイナスクールが中心になって打ちだした構想である。アメリカを意図的に排除した経済共同体構想だが、インドやオーストラリアを参加させることにより、中国の影響力を薄めようとするアメリカの意図も窺える。しかし、今までの日本の外交姿勢から考えると、アメリカが参加していない国際組織に、日本単独で中国と渡り合うのはほぼ不可能だと言ってよい。

 そもそも、国民所得の格差が大きく、共通の価値観や信仰もない一党独裁国家と、民主主義国家が共同体を作ること自体がおかしい。これでは中国が各国の利益を吸い取る道具になることは明らかなのだ。なぜなら、中国の干渉を排除した組織でこそ日本やアジアにとって活路があるのだから、最初から中国の主導でできる組織であれば、かえって厄介になるだけなのだ。

 たとえ東アジア共同体ができても、実質的には中国主導で日本の影響力を排除した「中華共栄圏+ASEAN」になり、日本は金は出すが口を出せない名ばかりの存在となる可能性が高い。そうなると、日本は完全にアジアの除け者になってしまう。外務省のチャイナスクールは、中国の利益追求の尖兵になっているか、その「共同体」という響きのよい言葉に惑わされたとしか考えられない。

 日本が主導権を握るためには、まず台湾と自由貿易協定(FTA)を結ぶことから入るのがいいだろう。日台両国で自由貿易地域を作り、最終的には投資、人的往来の法的制限を限りなく縮小し、「日台共栄圏」を築いてから比較的に民度の高いASEAN諸国に拡大していく構想を持つべきである。それにより、人的往来は活発になる。経済振興の重要な要素が活発な人的、物的流動であることは、言うまでもない。その意味で台湾は再び日本のフロンティアになる。戦後六〇年間、日本に忘れ去られていた台湾に目を向けることは、日本再生の第一歩になる。

 これは大胆な提案に見えるかもしれないが、社会制度、経済発展と民度の近い両国なら、実現不可能な提案ではない。台湾の有識者たちは中国の台湾に対する影響力の増強を心配し、日本と連携すべきだと考えている人も多い。李登輝氏、蔡焜燦氏と同様の日本語世代にはとくにその気持ちが強い。この世代の台湾人が健在なうちに、この構想を実現させたいものである。

 現に、台湾政府は日本に自由貿易地域の協定を積極的に提案しているが、日本政府の煮え切らない態度で進展が見られない。

●日本が「中国の呪縛」から脱出する道

 この提案の一番の難関はおそらく、中国の反対であろう。しかし、中国に配慮しつづける姿勢は果たして日本の国益に適うのか? 台湾と積極的に連携することこそ、中国の呪縛から脱出する最善の道ではなかろうか? 中国の呪縛から脱出すれば、日本は初めて日本自身のアジア戦略を立てることができる。

 しかし、冷静に考えてみれば、日本は中国に対するカードをたくさん持っているにもかかわらず、中国に対して卑屈な態度を取りつづけることは、実は日本の内政問題であって決して中国との外交の問題ではない。

 ODA(政府開発援助)の援助国でありながら、中国に物も言えないのは、外務省のチャイナスクールや中国に利権を持つ政治家などの利権屋たちが、中国の圧力を利用して外交問題にすり替え、国から利益を吸い取っているからにほかならない。これは、れっきとした売国行為である。

 それを防ぐために、対中ODAと外務省中国課を廃止することこそが日本の国益になろう。すでに対中ODAの廃止は決まったものの、残る国内の中国寄生虫を駆除しないかぎり、日本が本来の健康体に戻る日は来ない。


(次の連載は12月22日で最終回になる)

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