高金素梅が昨11日に靖国神社で働いた狼藉について、私たちは台湾人として憤りを禁じえない。

あの女は台湾原住民を名乗っているが、本当は中国人を父親に持つ正真正銘の中国人であり、今回の来日も中国の援助によるものと見られている。

しかし我が台湾の議員であることは疑いない。彼女が連れてきた多くも台湾原住民だ。

だから日本人にとっては大切な場所であり、台湾人戦没者をも大事に慰霊してくれる靖国神社を汚してしまったことに、恥ずかしく、申し訳ない気持ちである。

あのような人間を放置してきたことも、台湾人の責任だ。

中国の犬として日本との関係に楔を打ち込み、台湾の安全と独立をも脅かす在台中国人(ニセ台湾人)の勢力は断じて許すことができない。



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【論文】靖国を訴えた台湾の女性国会議員の背後関係

平成15年9月号「正論」より
        
     「台湾の声」編集長 在日台湾同郷会顧問 林建良(りんけんりょう)


●多数の原告は訴訟のことを知らなかった

 靖国問題は百パーセント日本の内政問題である。日本の内政問題である以上、いかなる外国の団体や個人も、靖国問題に干渉する資格はない。戦後、台湾人はこの日本に対する礼儀を守ってきたが、今年二月十七日に、台湾の原住民枠で選出された高金素梅・立法委員(国会議員)と彼女に同調する台湾人が、小泉純一郎首相の靖国神社参拝によって苦痛を与えられたとして、訴訟を起こした。その原告団には日本人も含まれている。二月十七日の朝日新聞夕刊に、「台湾戦没遺族ら提訴、『精神的苦痛』と国など」の見出しで以下のように報道された(敬称略)。

 小泉首相が今年一月を含めて三年連続で靖国神社に参拝したことに対し、台湾人一二四人を含む二三六人が十七日、「首相の参拝で精神的苦痛を受けた」として国などを相手に一人あたり一万円の損害賠償を求める訴えを大阪地裁に起こした。小泉首相の靖国参拝をめぐっては〇一年夏の最初の参拝に対し、韓国人を含む戦没者遺族らが東京、大阪、福岡など六地裁で違憲確認などを求めて争っているが、今年の参拝をめぐる提訴は初めて。

 この日提訴した原告のうち三十四人は台湾の先住民族で、うち十二人は第二次大戦中に「高砂義勇隊」として日本軍のために戦って命を落とした隊員の遺族。同義勇隊は旧日本軍が作業要員などの名目で募集したが、実際はフィリピンやニューギニアなどに送られて実戦に加わり、犠牲者も多かった。遺族に死亡通知が届かず、いまだに行方不明扱いになっている例もあるという。

 遺族ら原告は訴状で、「首相の参拝は、国が特定の宗教団体を支援している印象を与えるもので、政教分離を定めた憲法に違反する」と主張。さらに「首相の参拝によって、それぞれの立場から戦没者に思いをめぐらせる民族的自己決定権などが侵害された」として、国と小泉首相本人、靖国神社の三者に対し、連帯して総額二三六万円の慰謝料を支払うよう求めている。

 朝日新聞の記事は、台湾人が主体となってこの訴訟を起こしたような印象を与える。一台湾人として私は、これは本当なのか、と直感的に疑問を感じた。なぜなら、歴史問題にケチをつけて他国をゆするやり方は、過去に執着しない大ざっぱな台湾人の国民性にそぐわないからである。

 一九四七年に起こった二二八事件では、蒋介石政権は台湾人エリートを三万人以上も虐殺した。しかし、虐殺を実行した責任者たちはその後も政府機関にとどまり、現在も悠々とした生活を送っている。台湾人はこの民族粛清とも言える虐殺事件の加害者たちの責任すら追及しないのだ。

 このようなずぼらな国民性だから、歴史から教訓を学ばず同じ誤ちを何回も繰り返してしまうのだが、明るく寛容な台湾社会もその国民性から生まれたと言えよう。これは執念深い大陸民族の中国人との決定的違いなのである。にもかかわらず、戦後五十八年もたって、台湾人が靖国訴訟を起こしたというニュースを聞いた瞬間、私は「本当に台湾人なのか」と疑問が湧き、訴訟の経緯を検証する気持ちになった。

 何とか訴状の副本を入手してみると、驚くべきことに原告となっている何人かの台湾人の住所は、台湾に存在しない架空のものだった。これらの原告は実在しないのであろう。更に、同じ住所の原告は十一組、二十六人いる。それは、十一世帯から複数の人が原告となったのであろう。大戦後、支配者として中国から渡ってきた国民党政権の専制独裁政治で、台湾の法治制度が崩壊したために、司法を根底から信頼しなくなった台湾人は、裁判沙汰を極端に嫌がるようになった。よほど大きな被害でも受けない限り、家族が語らって原告になるというのは、極めて不自然である。

 そこで、更に追跡すると、何と多数の原告は訴訟のことを知らなかったのである。ある人びとは、日本政府から賠償をもらえることになったと言われて、名前を出したと言い、またある人びとは、高金素梅主催の集会に参加しただけで、訴訟のことは何も知らされなかったと言う。靖国訴訟を知っていたのは、彼女の側近や、親中組織「中国統一聯盟」のメンバーぐらいなのだ。訴状の【請求を基礎づける事実】の部分に、「その他の原告らは、かつて日本の植民地支配によって、さまざまな被害を被った者たち、またはその子孫である」と書かれているが、何人かの原告は、戦後に蒋介石と一緒に中国から台湾に逃げ込んできた者であり、植民地支配とは全く関係がないのである。

 私は日本の司法は厳正で信頼性の高いものだと信じていた。しかし、実在しない人物や訴訟の事実を知らされていない人びとを原告とする訴訟が受理されるようでは、日本の司法の公正さが疑われても仕方がない。常識的に考えると、偽りの原告で訴訟を起こすのは、詐欺行為ではなかろうか。この外交問題にも発展しかねない訴訟を、なぜ日本の裁判所は原告の実在と意思を確認せずに受理したのであろうか。

 当事者の了承も得ずに適当に名前をかき集めて靖国訴訟に参加した高金素梅の態度からみても、小泉首相の靖国神社参拝に苦痛を感じたと主張する彼女が真剣にこの問題に取り組んでいるとは思えない。彼女の活動は主に派手なパフォーマンスでマスコミの目を引く手法である。彼女は今回も気軽な気持ちでこのパフォーマンスを演じたのであろうが、この問題の背景には根の深いものがある。

●反靖国活動に乗り出した経緯

 高金素梅は、いつの時点から、あるいはどのような動機、目的から、今回の行動に出たのであろうか。台湾の週刊誌『新新聞』の記事(八五一号二〇〇三年六月)によると、彼女は、「去年、台湾を訪れた日本人に、日本に虐殺された原住民の子孫がなぜ靖国神社に参拝するのかと聞かれてから、関心を持ちはじめた」「台湾大学教授許介麟とその日本人妻藤井志津枝や尹章義、夏鋳九と彼らの日本の友人の協力でやっと事件の経緯を理解した」と語っているが、その「日本人」とは誰なのか。雑誌に名前が上がっている許介麟、藤井志津枝、尹章義、夏鋳九はすべて親中反日派である。靖国問題に関心も知識もなかった彼女が、反日派の手引きでこの訴訟に絡んできた構図が浮かび上がってくる。

 こうした反日左派の誘導によって高金素梅が日本で反靖国活動を開始したのは二〇〇二年八月である。同月十二日、彼女と戦没原住民の遺族と自称する張雲琴華は民族衣装に身を包んで、靖国神社に行き、同神社に原住民の合祀取り下げを要求した。この張雲琴華は、高金素梅の側近である張俊傑の妻なのだ。高金素梅らは原住民の踊りと歌で、「罰当たり」なパフォーマンスを神前で行った。

 そして彼女は、「私たちの先祖が高砂義勇隊に参加したのは志願によるものではない」「台湾人は死んだ後も日本人に抑圧されなくてはならないのか」とメディアに語っている。彼女が用意した声明には、「戦争を起こした者と戦争の被害者が一緒に祭られることで、歴史が歪められている」「日本軍は一九一〇年から一九一五年までの間、原住民を大量に虐殺した上に、生き残りや子孫たちを高砂義勇隊として強制的に徴兵し、南洋に送って弾丸の的にさせ、灰塵に帰させた。二代滅族の重罪だ」とあった。

 その後、彼女は終戦記念日の八月十五日に、大阪で行われた「第十七回アジア・太平洋地域の戦争犠牲者に思いを馳せ、心に刻む集会」(佐治孝典委員長)に参加している。この左翼の集会のテーマは「戦争と靖国」である。この「心に刻む会」とは、「靖国神社を支えてきた日本の民族的エゴイズムを内部から打ち破る」ことを目的とする会で、毎年終戦記念日前後に日本の「侵略の犠牲者、加害者」を証言者として招いて集会を行っている。

 この会は一九八五年の中曽根康弘首相の靖国神社参拝をきっかけに発足したものだが、中国政府がそれまで行わなかった首相の靖国参拝批判を突然開始したのがこの年だから、中国の反日戦略に相呼応するかたちで組織されたのだろう。この会が「南京大虐殺」や「三光作戦」などをテーマとする中国の反日宣伝や、中国人による戦後補償要求など、中国政府の戦略と軌を一にしていることは確かである。このような会と高金素梅は、いかなる接点があったのだろうか。

 それからもう一つ触れなくてはならないのは、彼女の靖国訴訟を支援する「小泉首相靖国参拝違憲アジア訴訟団」である。彼女の起こした裁判の原告には百人以上の日本人も含まれているが、その中には中核派、労働党、革命的共産主義者同盟のメンバーや、これら極左グループと提携する左翼知識人らが名を列ねている。高金素梅と彼らは、なぜ手を携えるようになったのか。

「小泉首相靖国参拝違憲アジア訴訟団 大阪訴訟ホームページ」に掲載された「ニュース第七号」(二〇〇二年十月十五日)は、高金素梅が反靖国活動に乗り出した経緯を次のように伝えている。

「心に刻む会」が毎年開催している「8・15」のつどいが、今年は「靖国」特集ということで、我々訴訟事務局に声がかかったのが、さる五月末ごろだったと思う。打ち合わせに行ってみると、靖国に合祀されている韓国や沖縄の遺族は招く事になっているが、台湾からもぜひ呼びたい、ついては知り合いとかルートはないだろうかという話になった。六月にたまたま別件で台湾に行く機会ができた。(中略)一度「原住民部落工作隊」に行って聞いてみたらと勧められ、一緒に訪問することになった。それから約一ケ月が経過した。台湾から電話である。遺族に会えそうだという。(中略)少数民族出身の立法委員(国会議員)も会いたいという連絡もあった。

 この「少数民族出身の立法委員」が高金素梅である。「部落工作隊」とは表向きは原住民の権利の向上を目指すグループだが、高金素梅の背後で動いている組織でもあり、最近では日本の左翼グループとの交流もあるようだ。続けて訴訟団事務局は、こう語っている。

 早速二名行った。立法委員の事務所でお互いに挨拶し打合せ後、遺族の待つ新竹県の山中に行く。(中略)こうして「8・15」集会に遺族や立法委員の招待が現実のものとなると同時に、遺族が靖国神社を合祀取り下げに訪問するという事が実現したのである。

 この「ニュース」を読む限り、高金素梅の来日のきっかけは、「心に刻む会」から、第十七回集会に韓国人だけでなく台湾人も参加させて内容により説得力を持たせたいとの希望を受けた訴訟団事務局が、台湾の「部落工作隊」に話を持ちかけたことだったようだ。この話に乗った彼女は、この集会に参加して合祀取り下げ要求も行うことになった。靖国神社社頭での「合祀取り下げ要求パフォーマンス」も、日本人に入れ知恵されたとおもわれる節がある。高砂義勇隊にも靖国神社にも無知だった彼女が、日本の左翼の誘いに飛びついて反靖国活動を開始したことは、疑いないようだ。

●「被害者」扱いは高砂義勇隊への許し難い侮辱

 日本統治下で「抑圧」を受け、あるいは「侵略戦争」に駆り出された、と彼らが言う直接の「被害者」である台湾の老世代は、高金素梅の行動をどのように見ているのだろうか。

 それを語る前に、まず史実を確認しよう。まず高金素梅が非難する「日本軍による一九一〇年~一九一五年の原住民大量虐殺」とは、日本の台湾総督府による原住民の平定を指しているようだ。外来政権への帰順を拒み、徹底抗戦に出た勇猛な原住民は、清国時代以来、統治当局や平地住民にとっては治安、開発における大脅威だった。

 山は彼らの天下である。清国軍は歯が立たず、討伐を諦めたが、日本軍は五年にわたる戦闘の末、ようやく彼らを平定した。もちろん原住民にとって外来政権に帰順する筋合いは全くなかったが、日本の台湾近代化政策の流れの中で、起こるべくして起きた悲劇であった。

 原住民によって編成された大戦中の「高砂義勇隊」について少し触れておきたい。大東亜戦争勃発の翌一九四二年一月、まだ台湾では徴兵制度はおろか志願兵制度すらなかったが、フィリピンでの密林戦で苦戦していた日本軍は、山岳民族である台湾の原住民に着目し、台湾総督府を通じて従軍志願者を募った。すると五千人もの原住民(当時の原住民人口は約十五万人)が志願に殺到したのである。そこから五百人が選抜され、高砂義勇隊(この第一回に限り「高砂挺身報国隊」と命名された)が編成された。

 このとき選抜されなかった者の多くは怒り、悔しがり、涙を流し、血判書を提出するなど、大騒ぎをしたことが語り草になっている。この時代、「兵隊になってこその一人前の国民」「戦に行けないようでは男でない」と言うのが原住民の一般的意識であったことは、当時を知る人に聞けばすぐわかる。高砂義勇隊は軍属ではあったものの、その戦闘ぶりは特筆に値する。

「人間業とは思えない敏捷さ、獣のような視聴覚と方向感覚、……軍紀の厳正さは正規軍を凌ぐとまでいわれ、しかも純真無垢な心と自己犠牲の精神は、戦友の胸を強く打った。……かくして、瞬く間に信頼と友情、そして尊敬の念をかちえてしまった」(名越二荒之助・草開省三編『台湾と日本交流秘話』)

 よく取り上げられるのが、米五〇キロを背負ったまま餓死した義勇隊員の感動的なエピソードだ。彼は前線で飢餓に苦しむ日本人の戦友のため、山を越えて米を取りに行った。そして前線に戻る途上で力尽きたのである。自らは一粒も手をつけることなく……。義勇隊の記録は少なく、その実態はあまりわかっていないが、フィリピン、ニューギニア、モロタイなどの激戦地で過酷な戦いを強いられたことはたしかである。林えいだい氏が戦後に調査して纏めた『台湾の大和魂』(東方出版)によると、義勇隊の派遣は七回あり、総員四千人に上ったらしい。

 ある遺族は「三千人が帰国していない」と言っていたから、悲惨な限りだ。だが、私は台湾人として、このような義勇隊を心から誇りに思う。これを「抑圧」された結果と言うなら、これほど彼らに対する侮辱はないだろう。なぜなら、当時の台湾人は日本国民だったのである。その彼らが国民としての義務と使命を、命を顧みずにここまで立派に遂行していたことは称賛に値する。それを戦後の後知恵で「被害者」と見なしたら、勇者たちの魂は「犬死扱いされた」と怒り、悔しがることだろう。自己の利益の追求を至上とする中国人的思考からは、国に殉ずる戦士の心など理解できないのであろう。

 もちろん私は、台湾人は日本国民であるべきだと言っているのではない。当時の時代的環境から見れば、台湾人は外来政権に支配される存在であったと言うことだ。それでも、この歴史過程で台湾人は、日本の統治を通じて今日に繋がる近代的国民の資質を体得したのである。それを「植民地下の抑圧」と恨むだけでどうするのだ。台湾人は、その歴史経験をバネにして、未来の台湾人の国造りに邁進すればよいのである。それを考えることなく、台湾は中国の一部との観点から、日本への復仇心に燃える中国人的な発想を、台湾人である私は断じてとるわけにはいかない。

●歴史の捏造に憤る台湾の老世代

 高金素梅は、日本の戦争を「侵略戦争」だと簡単に決めつけるが、その是非を言う以前に明らかなことは、台湾の戦後世代はあの戦争の実態をほとんど知らないことである。それは、国民党政権の中国人化教育で、「野蛮な日本人は侵略した」としか教わっていないからだ。

 あの戦争を体験している台湾の老世代は一般的に、ある意味では日本の老世代以上に、日本の過去に肯定的だ。それは、東京裁判史観の洗礼を受けなかったことや、戦後の中国人支配者への反撥もあったからであろう。だから、彼らの歴史を見る目は比較的に冷静なのである。

「過去に肯定的」と言うのは、単に「親日」と言うのではなく、反日目的の歴史捏造などを行わないことである。だから、彼女の行動に憤る老世代が多いのだ。まずいきり立ったのは、原住民の老世代である。特に元高砂義勇隊員の怒りは凄まじい。元義勇隊員たちが、いかに「過去」を誇りにしているかについては、すでに多くのルポが明らかにしている通りであり、また直接彼らと出会って、そのような話を聞かされた日本人も大勢いると思う。

 二、三年前、反日的な台湾の日刊紙『中国時報』が、日本の被害者としての原住民(高砂義勇隊のこと)をテーマに特集を組んだことがある。しかし、取材に応じた生還者や遺族は、誰一人日本の悪口を言わず、強制ではなく志願しての出征だったと強調した。そのために、この特集を取材した記者がそれを訝(いぶかし)がるだけで記事は終っていた。

 私の知人の数名の原住民老世代は、一様に高金素梅について憤りを隠さない。「日本は山の人間に悪いことをしなかった。しかし、原告として二百人が名を列ねた。だから私たち山の者(原住民)は、それを批判する三百名の署名を集めているところだ」「日本からお金(補償金)をもらったら、あなたたちに上げると言って、(協力者として)名前を書かせている」「あんな若いやつに歴史なんかわかるものか」と、日本語で息巻いていた。

 原住民ではないが、ある元日本軍属の台湾人は興奮気味にこう語った。「日本時代、台湾人は確かに差別を受けた。しかし、従軍してヨーロッパの植民地だったマレー、ベトナム、ビルマの悲惨な状況を目の当たりにして、台湾人がいかに幸福であるかがよくわかった。日本が戦わなかったら、今でもアジアは植民地だ。私たちは日本に感謝しなければならないのに、靖国神社を訴えるとは許せない。必要なら法廷に出て、本当の歴史を話しても構わない」と。

 この人たちの実名はあえて明かさないが、原住民を含む老世代(ことに従軍経験者)の多くが、このような気持ちでいる、と私ははっきり断言できる。彼女は日本人だけでなく、大勢の台湾人の感情をも傷つけているのだ。

●「靖国神社は台湾人に代わって慰霊してくれている」

 このようなことを話した原住民の遺族もいた。「日本人は私たちに代わって(台湾人も祀られている)靖国神社にお参りしてくれている。日本人には感謝しなければいけないのだ」。台湾では李登輝時代以前の白色テロ(恐怖政治)時代、日本軍に従軍した台湾人は、中国の敵国に協力したとされ、みな迫害を恐れて過去については口を閉ざすようになった。そのために、高砂義勇隊のことも忘却の彼方に追いやられた。

 しかし、日本人の一部はそれを忘れなかった。その戦死者を慰霊しているのも、日本の靖国神社だけだった。だから、この遺族は「日本に感謝しろ」と言っているのだ。なぜ原住民たちがはるばる日本へ渡り、靖国神社を参拝するのか、今の私にはよくわかる。靖国神社のように、感謝と尊敬の真心を込めて彼らの魂を慰めてくれる施設は、台湾には今のところ存在しない。「魂を異郷で放浪させたくない」と語る高金素梅は、台湾で、一体、どのような慰霊計画を持っているのだろうか。

 台湾人一般が高砂義勇隊のことを知ったのは、せいぜい二〇〇一年、小林よしのり氏の『台湾論』が台湾で翻訳出版された後のことだ。親台湾の『台湾論』に、反台湾の外省人(戦後中国からやってきた新住民)が危機感を抱き、『台湾論』排斥運動を起こしたのである。彼らは同書にある「高砂義勇隊は志願だった」という箇所に難癖をつけ、「志願ではない。強制だった」と大騒ぎした。それまで原住民には何の関心も持っていなかった連中が、今頃になって何を言っているのか、と思わせる一幕だった。日本人は高砂義勇隊に感謝をし、慰霊も行っているが、外省人のやることと言えば、せいぜい戦没者を政治的に利用するだけである。彼らは戦後、台湾人を弾圧、迫害し続けてきたが、今度は台湾人の魂まで弄んでいるのだ。

 では、戦後世代の台湾人は、日本の「過去」をどう考えているのかと言えば、すでに述べたように一般的には何も知らない。なぜなら近年に至るまで、日本時代のことは学校教育ではほとんど触れられておらず、総統府をはじめとする官公庁や各種の学校など、古いが立派な建物や、鉄道、道路、上下水道などの建造物も、それどころか木造の日本式家屋さえも、日本人が建てたことを知らない人が大勢いるのだ。それでも、一般的に台湾人は日本に好意的で、中国や韓国の対日感情とは全く違う。それは、親日的な親や祖父母の世代の影響、台湾人の大らかな性格、実際に接触した日本人への親近感などによるものであろう。

 さらに近年、台湾の歴史への関心の高まりや、若い世代による日本時代の研究が盛んになるにつれ、政治的な反日歴史教育への反撥も相俟って、日本統治に対する再評価が進行している。そのような中での高金素梅の反日行動を、大多数の台湾人は異様に感じているのが現実である。

●台湾原住民というけれど

 彼女の母親は台湾原住民のタイヤル族だが、父親は戦後台湾に渡ってきた中国人軍人(外省人)である。中国人軍人は台湾人を大量に虐殺した二二八事件の加害者としてのイメージが強いため、台湾人に敬遠された。蒋介石政権に厳しく抑圧されていた当時の台湾人は、陰で中国人を「阿山仔」(唐山=中国からきた奴)や「猪仔」(豚のように食い散らす奴)と呼んでうっぷんをはらしていた。

 あの時代は、無実の台湾人が刑務所に入れられ、処刑される例が山ほどあった。憲兵は白いヘルメットを被っているから、この恐怖政治は「白色テロ」と呼ばれた。蒋介石独裁政権の恐怖政治に加担した中国人軍人は、台湾人に嫌われて台湾社会では浮いた存在となった。その分、彼らは中国人意識が強く、人生の大半を台湾で過ごしながら、台湾人ではなく中国人であると強く主張している。そのために台湾で生まれ育った彼らの子供たちも、台湾人としての意識は薄い。彼女が強い中国人意識を持っているとしても不思議ではない。

 芸能人を目指していた彼女は、台湾中部の「青年高校」(演劇科)卒業後、すぐ芸能界に入り、映画やテレビドラマに出演し、歌手としても活躍した。しかし、芸能活動よりもスキャンダルが彼女を有名にしたのだ。数々の不倫騒動から「誹聞天后」(スキャンダル・クイーン)のあだ名をマスコミに付けられ、しばしばワイドショーや週刊誌のタネにされた。

 こうして有名になった彼女は芸能界にとどまらず、ビジネスにも精を出したが、トラブルの連続であった。一九九六年に彼女が所有するウェディングドレス店「梅林新娘会館」で火災が起こり、何人かの死傷者を出した。不審な点が多かったため、犯罪が絡んでいるのではないか、と台湾の司法当局が調査に乗りだしたほどである。

 タレント時代の彼女は、「金素梅」の名前で芸能活動を行い、原住民の身分を隠していた。比較的に当選しやすい原住民枠で立候補するため、彼女はタイヤル族である母親の苗字を加えて、高金素梅としたのである。選挙キャンペーン中、彼女は台湾原住民の民族衣裳をまとい、顔に刺青模様のペインティングを施し、派手なパフォーマンスで話題を呼んだ。素朴な原住民には決して真似のできない振る舞いと得意の演技で、高金素梅は国会議員の座を手に入れたのだ。

 しかし、彼女のスキャンダルは、国会議員になってからもやむことなく、相次ぐ不倫の噂にマスコミは彼女を「情欲立委」(欲望に溺れる国会議員)と呼んだ。

●親中国勢力に支えられ

 無所属の高金素梅を支えている主な政治団体は、前述した「部落工作隊」である。この組織は原住民の権益を守ることが目的だと称しているが、その重要メンバーは極めて中国に近い。「部落工作隊」の中心人物である陳明忠と張俊傑は、今回の靖国訴訟の原告にもなっている。陳明忠は過激派親中国左翼組織「夏潮」(China tide)の前会長であり、現在も積極的に「夏潮」に関わっている。

 張俊傑は、今回の靖国訴訟で高砂義勇隊遺族代表と称している張雲琴華の夫で、台湾を中国に併合させることを目的とする組織「中国統一聯盟」の前幹事長でもある。彼は以前から、原住民の自治運動に関わってきたが、実際は、原住民を中国に送り込んで中国の政治イベントに参加させたり、台湾原住民に「統一思想」と「中国人意識」を植え付けるなど、中国の協力者である。

 高金素梅をバックアップしている「部落工作隊」「中国統一聯盟」「夏潮」などすべての親中左翼団体は、中国との繋がりが深いことから、彼女の行動に中国の意図が隠されていることも推測できる。実際、彼女が扇動している原住民自治運動は、民族間の矛盾を利用して台湾を撹乱する中国の対台湾工作のやり方と一致している。原住民組織である「タイヤル族民族会議」のウデュフ・ラバカ幹事長は、「彼女は原住民出身であることを隠していたくせに、今は個人的な利益のために純朴なタイヤル族同胞を利用している」「タイヤル族として、彼女のやっていることは認められない」と厳しく批判した。

 タイヤル族原住民の身分を利用して、彼女が起こした靖国訴訟は、タイヤル族のためではなく、ましてや台湾のためでもない。台湾人で初めてとされる今回の靖国訴訟は、彼女を利用した親中反日左翼の新たな手口と考える方が妥当である。

●靖国問題を巧妙に操る胡錦涛政権

 中国の新しい指導者胡錦涛は国家主席に就任後、歴史問題への言及を控えるなど対日接近政策をとり、小泉首相との初対面の時にも靖国問題に言及しなかった。これを中国の「新思考外交」として、大方の日本のマスコミは好意的に取り上げている。実際、胡錦涛に強い影響力を持つとされる時殷弘・中国人民大学国際関係学院教授は、日中国民間の嫌悪感の増長は危険との理由で、「対日接近は最も必要であり、中国の安保、外交環境の改善に価値ある『迂回戦略だ』」(『戦略と管理』二〇〇三年二月号)と述べている。

 しかし、これを中国の靖国カードの放棄と取るのは、いささか短絡である。中国政府が対日接近を「迂回戦略」と考えているのは、反日の基本路線に変更なしと言うことだ。これがいかにも中国人的発想であることは、台湾の「中国化」社会で育った私にはよくわかる。日本糾弾の中華愛国主義で支えられている中国が、反日を止めることはあり得ない。

 一連の歴史問題をめぐる中国の対日抗議、内政干渉には、絶えず日本国内の左翼グループが援護射撃を行ってきた。中国政府は直接大っぴらに日本を攻撃しないとすれば、彼らへの支援、教唆、懐柔を強めていくのが中国人の手口である。台湾原住民を新たに加えた反日ネットワークで靖国に代理戦争を仕掛けることは、攻撃力を増強しながら台湾と日本を離間させる一石二鳥の戦術にもなるのだ。

 中国は、周辺諸民族を支配下に置かなければ、満足する国ではない。東アジアの民族心理の歴史から言えば、中華世界秩序は古来、国家意識の欠如した事大主義、屈服主義の周辺諸民族の存在を前提として成り立っていた。近代に入ってからも、中国に媚びる人間は常に反日だった。これらは全て、現在の東アジアの反日勢力にも当てはまるのではないか。靖国問題も、戦争賠償請求も巨視的に見れば、歴史問題と言うより、日本打倒を通じてアジアの秩序を改編する動きとして捉えることもできそうだ。

 もともと戦後日本の左翼運動は、本質的には中国に対する事大主義の革命運動である。「親中反日」然り、「親中反台」然りだ。彼らは東アジアにおける「新中華世界秩序」の建設に勤(いそ)しんでいるわけである。元来、左翼は国家権力に対抗する反体制派のはずであるが、国家権力に対抗することと、国家を売り飛ばすことは次元が異なるのだ。事大主義に走ること自体、すでに彼らが権力志向になっていることを意味しよう。日本人は平和、人権の美名に惑わされ、自国を他国に売り飛ばそうとする勢力に寛大すぎる。

 私はクリスチャンだが、現在の国家、社会が先人の努力と犠牲の上に成り立っていることを考えれば、先人への感謝を捧げる施設として、日本人は靖国神社を断固守るべきだと思う。外国人でありながら、しかも自分の政治的な野心から、平然と靖国神社を冒涜する立法委員は台湾の恥である。私は台湾人として、彼女の行動を許すことはできない。彼女は台湾人としてではなく、中国人としてこの訴訟を起こしたのである。この訴訟は、中国の代理である左翼勢力と、日本民族の魂の戦いなのだ。

●酷似する台湾と日本の戦後思想状況

 実を言えば、国の裏切者や、それを放置する国民と後押しするマスコミの存在については、日台両国の社会状況は極めて似ている。日本の「反日」と台湾の「反台」の両勢力も、思考、行動パターンがほぼ同じだ。どちらも、よく似た戦後思想状況の落とし子なのだ。戦後、日本では祖国否定の思想によって学界、教育界、マスコミが支配され、日本肯定思想は異端視され、罵倒されてきた。台湾では「台湾」を軽視する大中国思想によって人々は統制され、それに異論をはさむ者は、直ちに投獄された。

 ところが近年、日本では戦後思想の見直しが始まり、台湾では台湾人意識が高揚しつつある。そこで肩身が狭くなった「反日」左翼勢力と「反台」の外省人(及び戦後教育にどっぷり浸かった台湾人)勢力は、左翼思想や中華思想特有の憎悪心、復仇心、エゴイズムをフルに発揮して、恥も外聞もなく大暴れしている。日本の左翼が戦没者遺族の感情を平然と踏み躙り、靖国神社を訴えたのも、その一例と言えるだろう。

 両国とも、旧思想に染まったマスコミは、権威を維持するために彼らを応援している。長年の洗脳教育に染まった多くの国民も彼らの行動にあまり疑問を持たず、それを支持する者も少なくない。両勢力の共通点をもう一つ挙げると、それは「親中国・反日本」であることだ。左翼は共産主義だから中国への幻想が抜き難い。外省人は戦後中国からきた中国人だから、親中国は当然である。左翼はもともと反日だし、外省人は中華思想や「抗日情結」(対日コンプレックス)で支えられているから、彼らの「反日」も当然と言える。

●靖国神社参拝国民運動を起こそう

 高金素梅が起こした靖国訴訟は、台湾人を靖国問題に関与させた。しかし、この反靖国行為の批判に終始するだけでは、今までのパターンと大差がない。議論や裁判で彼らを打ち負かすことができても、状況はマイナスからゼロに戻るだけである。一連の靖国裁判をみると、左翼があちこちで被害者と称する連中を引っ張り出して、人びとを惑わせている。保守派は彼らの遊撃戦に振り回され、防衛するだけで精いっぱいなのだ。これでは、日本の魂を取り戻して国を再生することはできない。本気で国を再生しようとするなら、愛国者たちは議論や裁判の域から抜け出し、守りから攻めに戦略を転換すべきだ。

 それには、「靖国神社参拝国民運動」を起こしたらどうであろうか。やることは至って簡単。すべての政治家に靖国神社参拝を要求すればよい。それぞれの選挙区で、市町村議員から国会議員まで、靖国神社参拝を要求し、彼らに確約書を書かせ、毎年参拝を実行してもらう。参拝しない政治家に対しては選挙区で有権者の署名を集めて落選運動を起こし、二度と政治家になれないようにする。こうして良識あるサイレント・マジョリティを掘り起こし、今まで傍観していた国民に当事者意識を持たせることができれば、国の再生が可能になろう。

 靖国は日本再生の鍵である。靖国に対する攻撃は、日本を亡国させる陰謀以外のなにものでもない。それに気づいている日本人は少なからずいるが、靖国神社参拝を国民運動に発展させなければ、親中反日勢力を打破することはできず、靖国に内在する日本再生のエネルギーも取り出せない。日本を愛する台湾人として、日本の愛国者たちに、靖国神社参拝国民運動を推進し、日本を再び世界で尊敬される責任感の強い国に再生して欲しいと願っている。

 【略歴】林 建良氏氏 一九五八年、台湾台中市で生まれる。八七年、日本交流協会奨学生として来日。東京大学医学部博士課程修了。メールマガジン「台湾の声」編集長。台湾独立建国聯盟日本本部国際部長。日本李登輝友の会常務理事。在日台湾人の外国人登録証の国籍記載を「中国」から「台湾」に改正する「正名運動」プロジェクトを〇一年六月に発足させた。前在日台湾同郷会会長。 

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