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昭和13年(1938年)、日本統治下の台湾・台北州蘇澳郡蕃地大字リヨヘン社に駐在していた日本人の巡査田北正記に召集令状が届き、出征することとなった。その巡査は村の学校の教師も勤めるなど面倒見がよく、村人から慕われていたため、山から下りるときの荷物運びを村の青年たちが申し出た。17歳の少女サヨン・ハヨンもその一人だった。出発の日、折悪しく悪天候の中、一行は山を下ったが、途中の川に掛かった丸木橋を渡るとき、荷物を背負ったサヨンが足を滑らせて増水した川に落ち、命を落としてしまった。

この話は、出征する恩師を見送るために少女が命を犠牲にした、ということから、台湾先住民宣撫のための格好の愛国美談となって広まり、台湾総督によってサヨンを顕彰する鐘と碑が遭難現場付近に建てられた。これが「サヨンの鐘」と「愛國乙女サヨン遭難の碑」である。

なお、大東亜戦争勃発後の1943年、山地名の日本色強化政策により、サヨンの故郷・リヨヘンもこの物語により鐘ヶ丘(かねがおか)に改称された[1]

 

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%A8%E3%83%B3%E3%81%AE%E9%90%98

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