2010.1.12 産経新聞

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【編集長より】

人権を至上命題にしている日本、人権に冷淡な日本、どっちも本当の日本のようだ

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               中国総局長・伊藤正 

 十年一昔というが、時代の移り変わりの激しい現代では30年は大昔か。1970年代末に改革・開放政策に転じて以来、中国の経済・社会に起こった急激な発展と変化からそんな気にさせられる。しかし、この国の政治には本質的な変化がないな、と感じることがある。昨年暮れ、中国の作家、劉暁波氏に対し、懲役11年の判決が下されたときもそうだった。

 劉暁波氏の主要な罪状は、2008年12月にネット上に発表された民主化宣言「08憲章」の中心的な起草者だったことだった。憲章は、一党独裁体制が党官僚の特権と腐敗を生み、民主と人権を抑圧しているとして、民主主義体制への移行を主張する内容で、大学教授、弁護士、作家ら303人が賛同の署名をしていた。

 署名者の中には、中国の時事週刊誌『中国新聞週刊』が昨年末に出した号でこの10年で最も影響力のあった知識人の筆頭に挙げた政府系シンクタンク「天則経済研究所」の茅於軾所長はじめ穏健改革派知識人もいた。改革開放の進展とともに、民主主義への希求は必然的な潮流になり、広がっているのだ。

 これに対し、党指導部が危機感を持ったのは疑いない。中国当局が、憲章発表の前夜、劉氏の身柄を拘束、同調者に警告したのはその表れだった。にもかかわらず、ネット上では、署名呼びかけに応じる人が急増していく。数日後には当局は憲章をネットから抹殺したが、国際的な反響を大きくしただけだった。劉氏への重刑は、当局が党への挑戦は容赦しない決意を表明したものだった。

 この判決を聞いたとき、頭に浮かんだのは、30年前の魏京生裁判のことだった。魏氏は、文化大革命終結後の1978年秋、北京に旋風を起こした民主化運動の旗手的な存在で、79年3月、トウ小平氏を毛沢東後の「新たな独裁者」と攻撃する文章を発表した後、逮捕され、同年10月、反革命宣伝扇動罪などで懲役15年の判決を受けた。

 トウ小平氏は一党独裁下での経済建設を第一にし、民主化運動を「社会の安定を損なう」として徹底的に嫌った。86年の学生デモを弾圧したのに続き、89年には武力鎮圧(天安門事件)も辞さなかった。その原点が魏京生裁判であり、今回の劉氏の裁判も本質的には同じだった。

 トウ氏以後の江沢民、胡錦濤両政権も、政治体制はそのままに、異議申し立て者を抑圧しながら、経済発展を図ってきた。それによって今日の繁栄が可能になったというのが共産党の主張である。しかし改革・開放の進展によって社会は国際化、多元化し価値観も変化した。特にネットの普及で、人びとの発言空間が広がり、党はさまざまな挑戦を受けている。

 08憲章は、言論の自由や人権尊重など、国民の基本的権利の拡大に、三権分立という西側の制度への移行を要求したものだった。それは中国が経済面だけでなく、政治的にも世界の大国として影響力を持つようになった今日、国際社会が求めるものであり、劉氏の公判に世界が強い関心を寄せ、日本を除く主要国が公判の監視に人を派遣した理由でもあった。

 中国市場に寄せる世界の視線はますます熱く、日本企業の中国依存度も増している。それは経済の原理と現状から当然のことだ。

 が、日本政府も企業と同じレベルであっていいわけがない。劉氏の政治裁判に対する日本の冷淡さは、欧米だけでなく、中国の知識人層の失望を招いている。(中国総局長)

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