本会常務理事・在日台湾同郷会顧問 林 建良

一九五二年、日本は講和条約で台湾を放棄したが、その帰属先は未定となった。同年、すでにこの島に不法にも居座っていた中華民国亡命政権を「中国」代表政権として承認。しかし台湾の領有権は認めなかった。だから台湾住民が日本へきた時は中華民国国籍と「看做す」(日華平和条約)とした。従って外国人登録でも台湾人の国籍は「中国」となった。

その後七二年、日華断交で「中国」は中華人民共和国を意味することになったのだが、台湾人の国籍は「中国」のまま変えられなかった。
それ以来、台湾人は日本社会で生活する限り、中国国民の身分を強制されることになったのだ。

それは法務省入国管理局が、台湾を自国領と言い張ってやまない中国に配慮した結果だった。そこで同局に改正を要求するため、我々在日台湾同郷会は二〇〇一年に外登証国籍正名運動を開始した。

入管局は当初、「台湾は中国の一部」などといってまともに取り合わなかった。国会でも法務大臣は「昔からこうだった」との理由で、デタラメ措置を正当化した。だがやがて我々の声が届き、今年七月八日に改正「出入国管理及び難民認定法」(入管難民法)が成立し、外登証の代わりに在留カードの交付となることを機に、台湾人の国籍も「台湾」に改正されることとなった。この法律では台湾とパレスチナが同じ扱いだった。つまり台湾もまた帰属先未定、建国未達成だとのメッセージである。

この運動は様々な効果を生んだ。まず台日共闘の成功。台湾研究フォーラムなど、台湾を支持する日本人たちとの共闘体制が生まれ、それが日本李登輝友の会の結成のきっかけ、日台共栄運動の礎ともなった。

我々在日台湾人は運動を通じ日本人の義侠心を強く感じ、感謝している。

台湾ではすべてのマスコミが大々的に運動の成功を報道している。台湾には冷淡と見られる日本の稀に見る台湾激励の措置と受け止められている。

日本人が街頭署名で立つ写真は台湾紙「自由時報」で掲載され、多くの台湾人を感動させた。

また台湾正名運動はすでに台湾にも波及し、独立運動の主流に発展した。

戦いはこれからだ。台湾国の建国まで台湾正名運動は続くのである。

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