中国香港から出発した中国人活動家を乗せた船「啓豊2号」が8月15日午後、日本の領海に侵入し、乗組員の一部が尖閣諸島の魚釣島に上陸。中華人民共和国(中国)国旗「五星紅旗」や中華民国国旗「青天白日満地紅旗」を振り、日本側に拘束され、上陸していない乗員を含む14人全員が不法入国の容疑で逮捕された。
台湾の馬英九政権は、この香港からの船の台湾寄港を認めなかったが、15日未明に「人道的対応」を理由にこの船に物資を提供し、補給を受けた船はそのまま尖閣方面へと向かった。
もし、尖閣諸島が台湾の領土と主張するなら、台湾政府は中国人が上陸して中国国旗を立てたことに真っ先に抗議するのが筋であるが、馬政権の台湾外交部は、中国に抗議するどころか、日本に逮捕された中国人活動家の早期釈放を日本側に要求する談話を発表した。馬政権は、“両岸団結”のための「反日」活動を側面支援し、尖閣諸島の中国領化を容認する態度を明確化している。
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林啓三
写真家、鳥井勇造は日本の福岡県人で、生まれは明治時代と云われているが確かな出生年月日は不群である。彼は東京美術学校を卒業した方で、結婚後二女一男の親となり、長女の名前は愛子・次女は良子・長男は勇と言っていた。
彼は日本が台湾を統治していた大正時代に台湾の台中州梨山の警察駐在所の巡査として赴任した。その後、昭和5年(1930年)に台中州能高郡霧社の警察駐在所に転勤となり、そこで昭和20年(1945年)の終戦まで勤務していた。
この間、警察局の写真班員として公務の撮影をしていた。彼は在職中若し長官が巡視に来た場合、この状況の撮影を担当した。もとより彼は美術学校卒業生であるので撮影と美術方面は専門であり、この仕事に対しては情熱を燃やし努力を惜しまなかった。
特に絵画部門では毛筆による人物肖像を嗜み、その制作に於いては迅速・且つ正確を究めたので、この地方の人々の好評を受け、作品には多くの傑作を残した。
一方面彼は単身赴任なので霧社で下山静子さんと許清子さんの二人を義女として迎え撮影の助手や身の上の面倒を見てもらったので、自分の職務に対して専心努力する事が出来た。
しかし彼は故郷から遠く離れた霧社で住み、故里の子女を思う心は切なるものがあり、昭和16年には仕事の合間に二女の写真を霧社の風景の中に、はめ込み合成した写真に二首の和歌を書き込んだ様は父としての情愛の涙ぐましさを真実に叙述していると言っても過言でもない。
その和歌は次の通りである。
思はじと思へど思ひ胸にみち
袖に涙のかわく間もなし
貧しくても親子揃ふてとる箸は
いかに楽しくおいしかるらん
また、昭和6年(1931年)には娘の写真4枚と自分の名刺を組み合わせて次の句を書き入れた
写真の黒い所を消してみたら
さぞびっくりしたことでしょう
父サンは何をして居るかはこの名刺を
見たらわかるでしょう。
第二次世界大戦の終戦後(民国34年・1945年)彼は帰国せず台湾で一生を過ごすつもりで、霧社から瑞岩(現在の発祥村)に移住した。
その時、義女の下山静子が面倒を見ていたが静子が悪性マラリアにかかって急逝したため、彼は憂鬱症にかかり、ついに民国35年(1946年)8月に瑞岩で逝去し、一生の幕を閉じたのである。
先に昭和18年満州国映画会社と台湾総督府が共同で松竹映画会社により映画「サヨンの鐘」が作られた。この映画のストーリーは宜蘭県南澳郷の奥山で発生したものであるが、映画の撮影地は当時台中霧社(現在南投県の仁愛郷)で行われた、この映画「サヨンの鐘」の主演は名優の李香蘭(日本人で本名は山口淑子)であったので、当時霧社に於いては、日本時代始めての映画撮影なので民衆の参観ブームは空前の凄いものであった。
「サヨンの鐘」の物語は次の如しである。
サヨンとは先住民タイヤル族の少女「サヨンヨハン」で宜蘭県の南澳郷の奥、標高1,200m 程の山麓にあり、彼女は「リヨヘン蕃社」に住んでいた。
昭和13年(1938年)当時、この蕃社に駐在していた日本青年田北正紀警手は夜間に男女青年団員に日本語を教えて慕われていた。
日華事変の拡大により田北警手が応召になり9月27日出発する事になった。
下山の日は前夜から台風で山は大荒れとなり田北警手は入営時間を気にして危険を考えて荷物を持たずに出発しようとした。その時蕃社の女子青年団の副団長であったサヨンが田北警手の荷物運びを申し出し、
7人の男女が選ばれて一足先に出発した。30kmの道を松明(たいまつ)の明かりのもと、一晩かけて荷物を担いで後に従っていたサヨンは激流と化した南澳渓の丸太橋にさしかかった時、バランスを失って激流に呑まれ命を散らしてしまった。
その後、蕃社の人々は「サヨンを想う」という歌を作って追憶した。
昭和16年2月になり台湾全島の高砂族青年団の慰問学芸会が台北で催された際に「リヨン社」の代表が歌った「サヨンを想う」の歌が臨席していた長谷川清総督の耳に入り、総督は感動して、後日サヨン等の篤行を褒め讃えて「愛国乙女サヨンの鐘」を刻んだ真鍮製のベル作らせ、サヨンの兄を通じて贈った「リヨヘン社」では檜造りの鐘楼を小学校に建てて据えつけ、鐘の音がお祭りの時に鳴り渡る様になった。
この美談が歌手渡辺はま子の耳に入り、彼女の発案で「コロンビアレコード会社」の「サヨンの鐘」の歌が生まれた。以後、台湾の各地で歌われるようになった。「サヨンの鐘」の流行に刺激されて今度は満映と総督府の共同により松竹映画「サヨンの鐘」が作られ、昭和18年7月に封切られたのである。
この撮影の時、霧社の住民の心を魅了させた原因は李 香蘭の風采を一目でもよいから見たいという民衆の強烈なる希いにあった。
この撮影中、鳥井先生は必ずカメラを背負い極めて多くの撮影現場の情景を写真に収めて貴重なる記録として今に伝えられている。
(本稿の文字起こしは永井さんに協力してもらいました。有難うございました。)
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日本のマスコミはその映像を処理したのか、新聞も映像もその一幕は出てこなかった。だが、中国の反日デモには「殺光日本人」(日本人を皆殺しにせよ)という横幕があった。
それは過激な表現ではなく、中国人の本心なのであろう。
反日デモはガス抜きや権力闘争の一環という見方もあるが、それでは中国人の野蛮性を見抜けない。
中国人は高官から庶民まで、異民族を叩く口実さえあれば、容赦しない民族なのだ。
その好餌が日本なのである。
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今日すごく暑いですね~ 青森市は35度ありましたね~ 今日は休みです。それで、いろんな用事を済ませようと、あっちこっちに疾走しました。車のエンジンの調子が悪いみたいで、エアコンをつけると、エンジンランプがつくのだが・・・・・・ あっちゃ~~~めちゃくちゃ暑い中、エアコンなしであっちとこっちへ車を走らせました。ちなみに、今日は100キロは走ったな。おかげで 帰りはガソリンスタンドへ給油しましたわ。 って 要点はですね、今日 仙台入国管理局・青森出張所へいきました。 はい! 前回手続きしに行ったのに、始まる初日にですが、なんと機械が故障したんです!(本当か?!)それでやっと今日時間ができて、今日行ってきたのさ。 結論からいうと 手続きは出来たのですが、在留カードはもらえました! 国籍もちゃんと「台湾」になってますよ!!! けど、ちょっとお時間がかかりましたね~ もしや私みたいな在日台湾人が国籍を「台湾」に「直して」もらう人は、あまりいなかったのかな?! つまり 青森県で 在日台湾人で 在留カードの国籍を「中国」から「台湾」になったのは、私が第一号かな?! まぁ~青森県に住んでいる在日台湾人がそう多くいませんから~他国の外国人が在留カードの手続きしに入国管理局に来ていると思うよ。しかし私の場合は、少々時間かかりましたね。 なんだか、在日台湾人の場合は、どうしたらいいのか?!戸惑っている様子でした。手順が分からないというより、そうしていいのか、こういう場合は、こうなっていいのね、入管の職員3人が「話し合って」ました。話し合うじゃないな~「確認」してたんだな!! ふぅ~、なぜすぐに出来ないんだ?! まぁ~それでも国籍が台湾と記載してあるので、祝うべきことなのです!!! この気持ち わかるかな?! 長年 国籍が「中国」と記載される苦しみ、悔しさが少しだけ晴れています。 なぜ少しだけといいますと、国籍が「中国」から「台湾」へ訂正したのは外国人登録証明書がなくなり、新しい在留カードになり、在留カードだけが訂正になったんです。 運転免許証や戸籍謄本などはまだなんです。だから、気持ちが晴れるのは少しだけなんです。【レポート】台湾表記在留カード制度初日トラブル記 (転載)http://shukuei.blog19.fc2.com/blog-entry-786.html これが外国人登録証明書 これがなくなり【出町淑貴さんの外国人登録証明書と在留カードの写真】 これになりました 在留カード。 写真を隠して、ごめんなちゃい。綺麗過ぎて、見た人が気失ったら、困ると思って・・・・。って、笑えないよね~~~ taiwanyes 發表在 痞客邦 留言(1) 人氣(165)
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傳田 晴久
1. はじめに
2012年8月15日に香港の保釣(日本の尖閣諸島を中国の領土と主張し、領土返還を求めている)活動家たちが釣魚島(中国名)に上陸し、逮捕されましたが、すぐに強制送還されました。同月19日今度は日本の地方議員が海に飛び込み、魚釣島(日本名)に上陸しました。
この尖閣諸島はもともと日本の領土ですが、1971年以降海底資源埋蔵の可能性が指摘されると台湾、中国がそれぞれ領有権を主張し始めました。
台湾に在住している人間として、最近の紛争がどのように報道されているか、お伝えする必要があろうと思い、本台湾通信で取り上げることにし、何時ものように「自由時報」の紙面から気が付いた「見出し」を拾って紹介することにします。
2. 香港の活動家上陸以前の報道
8月13日、「馬英九は東海和平を首唱、五星旗の船は釣魚島に行かせるべきではない」とのタイトルで、台湾安保協会理事長、前駐日代表羅福全氏に対するインタビュー記事を大きく掲げています。
8月14日の記事のタイトルは「香港の保釣船出発、日本は出兵の方針」とあり、外来船の挑発に海上保安庁の巡視船が対応しきれない場合、或いは魚釣島に不法上陸し、付近の武装船を沖縄県警が排除できない場合には、日本政府は自衛隊を出動させる方針を既に決定していると伝えています。
また同記事では、19日に予定されている慰霊祭に超党派国会議員が上陸許可を日本政府に申請しているが、日本政府は中国を刺激し、思わぬ事故の発生を避けるために許可しない方針であると報道しています。
同時に外交部は「政府は最も有効な方法で主権を公示する」というタイトルで馬英九総統が先日発表した「東海和平提案」に基づいて、双方が対話による解決を望むとしています。
8月15日の投書欄に「保釣の謎」と題した投稿があり、今回の保釣船出港は香港特別行政区行政長官梁振英に騙されたのであるという。香港の水上警察が真面目に法を執行すれば保釣船は出港できるはずがなく、新任長官は目眩まし(谷開来事件と中共18大黒箱作業、香港内部問題、汚職、国民教育などの問題)のために民族主義の感情に訴えようとしたのであろう。さらに、保釣船出港は確かにトップニュースで伝えているが、香港人の反応は冷淡である。保釣人士は香港に駐留している共産軍に保釣船の安全保護を願ったが、処理されなかった、云々(投稿者:林保華資深時事評論員)。
同じ日の政治面の記事には「(台湾の)船主は出港を拒み、保釣はまだ出発していない」とあり、台湾の中華保釣協会が船をチャーターして香港の保釣船「啓豊二号」に物資を供給する予定であったが、それを実行しなかったと伝えています。しかし、海岸巡防署(日本の海上保安庁に相当)は香港の保釣船を領海外に追い払う際に、人道的見地から食料を供給したと言います。
3. 香港の活動家上陸直後の報道
8月16日の政治面、大きな活字で「日中双方大使を呼び抗議」、「香港の保釣人士が釣魚台(台湾名)に上陸、14人が逮捕された」と報道しました。「啓豊二号」が日本巡視船の包囲を突破して、14人が五星紅旗、青天白日満地紅旗を翻しながら上陸する写真を大きく掲載しています。そして日本が政府関係者の訪中予定を取り消し、中国側が14人の無条件釈放を要求していると伝えました。同時に緑陣営(政権野党の民進党)は「両岸(台湾と中国)は連携して抗日をやるべきではない」との主張を伝えています。
そして前日(15日)日本交流協会(実質駐台湾日本大使館)に2つのデモがあったことを伝えています。一つは保釣人士による「釣魚台は我らのもの」という日本に対する抗議、もう一つは「慰安婦を応援、婦人団体は日本に謝罪と賠償を求める」というタイトルです。14日に在住日本人に交流協会から「15日、交流協会に300人程度の大規模デモが計画されている」との注意が伝えられましたが、実際には数十人規模のモノであったようです。
8月17日の第一面トップには、「香港人の釣魚島上陸写真、中国のメディアが我が国旗を赤く塗潰した」との大きな活字で、上陸時の写真には台湾の「青天白日満地紅旗」が写っているのに、中国の「厦門商報」紙にはその部分を真っ赤に塗潰してあることを報じています。
同日の焦点ニュース欄に釣魚台情勢として、「香港の保釣人士が台湾の国旗と中国の国旗を振りかざして上陸したことは、国際的には台湾と中国が連携して日本に対抗しているという誤った印象を与えており、政府のやり方は妥当でない」との緑陣営の批判を伝えています。
8月18日の焦点ニュース欄では中国の反日デモの拡大を避けるために日本政府は釣魚台に上陸した14人を空海2つのルートで強制送還したが、石原東京都知事はこれに対し、法治国家を破壊したも同然と批判していると伝えています。また、同欄では馬英九総統は上陸したものは台湾人ではないことを未だ表明していないと批判している。台日の政治状況を知悉している人の意見として、台湾は台日漁業交渉を実質的に進展させるべきであると主張していることなどを伝えています。
8月19日の焦点ニュース欄では中国の釣魚台侵略を想定して、日米が軍事演習を行うと報じています。また日本の国会議員を含む150人が20隻の船に分乗して今日釣魚台に到着すると報じ、香港の保釣人士が10月に再度釣魚島に行く計画であると伝えています。
4. 日本の地方議員上陸時の報道
8月20日の第一面に「日本人釣魚台に上陸、中日の争議拡大」の見出しで、日本人が日の丸を掲げている大きな写真と対日宣戦の標語をかざす中国人の小さな写真を並べて、議員率いる150人の団体が釣魚台海域において慰霊祭を行ったが、その中の10人が泳いで釣魚台に上陸したと報じています。記事の中に、中国が抗議しているが、日本は「国内問題」として受理しない予定としています。
同日の焦点ニュース欄では「スローガン保釣?」として、政府高官が「東海和平提案」はスローガンではなく、実質的な内容があると強調したと報じている。また宜蘭県の議員もまた釣魚台に上陸する計画をしているという。
同日の投書欄に一市民からの「漁業権に焦点を合わせるのが賢い行動である」として、1884年に日本人古賀辰四郎が島の開拓をはじめ、1895年1月に日本政府が領有を宣言した歴史を挙げ、さらにその年の3月に清国が台湾を日本に割譲して以来1970年までの75年間に中華民国も中華人民共和国も共に尖閣諸島の領有を主張したことがない事を述べ、中国は1971年、海底資源の可能性を知り、「胃口大開」(食欲が旺盛になる)して初めて領有権を主張した。李登輝元総統がかつて「尖閣諸島は日本の領土で、台湾とは漁業権の問題だけが存在する」と言ったと述べています。
8月21日の政治面:東京都は上陸許可を申請したが、日本政府は文書の不備を理由に受理しなかった、上陸した10人は不起訴のなる見通しと報道。一方、中国の反日デモは一部に共産党打倒を叫ぶ民衆がいるとも伝えています。
8月22日の政治面では馬英九総統がNHKの独占インタビューに応じ、中国と連携すること はないと重ねて主張し、釣魚台の紛争は国際法を以って平和的に解決する方法がないかと述べたと伝えました。
8月23日の国際ニュース欄では米国の戦略学者の話として、中日が海上で戦うならば、艦船の数では中国が勝っているが、日本は人材面、地の利に於いて勝り、米軍の協力がなくとも日本は辛勝するであろうし、中国がたとえ勝つとしてもその国力に甚大な損失を及ぼすであろうと伝えています。
8月24日の政治面に「馬英九が台湾は中国と連携して日本に対抗するものではないと言ったばかりだが・・・・釣魚台問題について、国台弁(国務院台湾事務弁公室)は両岸には共通認識があると述べた」とあり、中国の王毅国台弁主任の発言と台湾の劉徳勲大陸委員会副主任委員の発言の違いを紹介しています。
また、投書欄には「釣魚台を中国に蹴り与えるのか?」と題して、馬英九総統がNHKのインタビューで日韓獨(竹)島争議のように国際司法裁判所で解決したいとの発言に対して、台湾の国際法人格有無を取り上げ、批判しています。
5. おわりに
以上、今回の尖閣諸島への中国人上陸、日本の地方議員上陸について、台湾の自由時報紙がどのように報道したか、目についた記事のタイトルを拾いながら紹介しましたが、メディアが報道する夥しい量のニュースの一部を拾ったものにすぎないことをお断りいたします。
それにしても、国内の不満や鬱憤を晴らすために、隣国に押しかけて騒ぎを起こすやり方は、春秋戦国時代からの伝統でしょうか、まぁ、欧米もそうでしょうが、騒ぎを仕掛けられる側としては迷惑な話です。尖閣諸島海域では100年も前から台湾の漁民が漁をしていたと聞きますので、主権の問題は絶対に譲れないにしても、漁業権については交渉が可能と思われます。とはいえ、台湾漁民の漁業権交渉をどの国と行うのでしょう。これまた頭の痛い問題です。
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早川 友久 李登輝元総統が主宰する「群策會」が設立11年目を迎え、昨8月25日、台北市内の華漾大飯店中崙店において毎年恒例の募金パーティ(募款餐會)を開催した。参会者は50テーブル(約500名)にも及ぶ盛会だったという。 李登輝元総統はこの席の冒頭の挨拶で、李登輝図書館の設立などを目的として、今年末までに群策會を「李登輝基金会」に発展的に改組すると発表された。 募金パーティには本会理事で台北事務所長の早川友久氏も参加、「台北事務所ブログ」で詳しくレポートしている。 なお、李登輝元総統の挨拶原稿はすでに群策會のホームページに公開されている。◆李前總統出席群策會二〇一二年募款餐會致詞稿 http://advo.tw/news-----------------------------------------------------------------------------------------「群策会は李登輝基金会へ発展的改組」パーティで李登輝元総統が発表 【台北事務所ブログ:2012年8月25日】http://twoffice.exblog.jp/18884276/*関連写真を多数掲載。 本日午後6時から、台北市内の華様大飯店で李登輝元総統が主宰するシンクタンク「群策会」の募金パーティが開かれました。 会場は昨年の10周年記念パーティと同様、大変な盛況で、パーティ券も早々に売り切れになったということです。 午後6時半すぎ、李登輝元総統と曾文恵夫人、蘇貞昌・民進党主席らが入場すると会場は総立ち、万雷の拍手で迎えました。メインテーブルは、蘇主席のほか、游錫こん・元行政院長、呉栄義・新台湾国策シンクタンク理事長、黄天麟・元総統府国策顧問ご夫妻、陳南天・台湾独立建国聯盟主席ら、錚々たる顔ぶれの出席者で埋められました。 挨拶に立った李元総統は、設立から11年目に突入した群策会を発展的改組し、今年末までに「財団法人 李登輝基金会」を発足させると発表、同時に「李登輝図書館」の設立準備に着手することを発表しました。「李登輝図書館」の構想が発表されると、会場からは賛同の大きな拍手が起こりました。 図書館には、李元総統個人の資料や蔵書、群策会がこれまで奮闘してきた記録などが収蔵され、台湾の民主主義の深化や台湾主体性教育の基地として利用されることを視野に入れているそうです。 演説される李元総統は血色も大変よく、パワフルな話しぶりは健在。6月には少し体調を崩されて静養されましたが、張りのある声を聞くと完全復活の模様。まだまだお元気でご活躍いただけそうです。 また、今日のコースメニューに使われた食材は、すべてこの数ヶ月間に李元総統が視察に訪れた台湾中南部のものを特別に仕入れたものだとか。李元総統は数度にわたる視察を通して、地方経済が思った以上に疲弊していることに失望を受けており、経済資源が中央に偏りすぎていることを批判しました。これは、蒋介石の時代から、反攻大陸のために資源がすべて中央政府の手中に集められていたことが原因と指摘しています。 李元総統と写真を撮ったり、握手を求めるなどの支持者が引きも切らず、今日のパーティは大盛況のうちに午後9時前、幕を下ろしました。 taiwanyes 發表在 痞客邦 留言(0) 人氣(99)
日本と台湾の懸け橋になる会世話人 喜早天海日本語族と呼ばれる人たちの中には単に日本語が話せるだけでなく、俳句・短歌を詠んだり自分で本を出版したりしている人もいます。その中の一人である劉心心さんから先月真新しい本二冊送られてきました。文集1『海の向こう』と文集2『折々の記』と題名が書かれた600頁に及ぶ心心さんの力作でした。心心さんからは、以前も何篇か原稿を戴いたことがあり、中でも一番衝撃的だったのは「故郷」という詩で、今回の文集1の冒頭に載っていました。 詩「故 郷」半世紀以前のある日、学校の先生は生徒に言いました。「今日からお前たちはみんな日本人だ。北の方、東海の向う。 天皇陛下のおわす内地が、お前たちが忠誠を尽くすべき 国家。」40年前のある日、学校の先生が学生に言いました。「今日からお前たちはみんな中国人だ。西の方、台湾海峡の 向う。中国大陸がお前たちの愛する祖国。」20年前の学生は友達に言いました。「東の方、太平洋の向うに広大な土地がある。みんな一緒に 移住しよう。みんなでアメリカ人になるんだ。我々のドリームは アメリカにある。」今の大人たちは自分のアメリカの子供に言いました。「太平洋の向うの小さな小さな海島、緑濃き山々、清らかな 流れ、純朴な人々。あそこがお前たちの故郷。我々の真の 国土なのだ。」暖かい母親の懐(ふところ)よ。赤子の揺りかごよ、懐はいずこに。揺りかごは?寂しい台湾人よ、流浪の台湾人よ。どうして、お前の故郷はいつも海の向うでなければならないのだろう。この詩には台湾の歴史と台湾人の悲哀と故郷台湾を思う切実な思いが込められています。この詩のあとに白色テロと呼ばれている蒋介石国民党軍隊による台湾人大量虐殺事件のことが記されています。心心さんのお父様も白色テロの犠牲者であり、多くの日本人にはほとんど知られていない白色テロの内容を読んだら、きっと知られざる台湾の暗黒の歴史の一端に驚愕することでしょう。1949年5月から40年近く戒厳令を敷かれたことによりこの間の真実が闇に葬られ誰も口にすることもなく、世界中の人たちばかりでなく、現在台湾に住んでいる若い人たちにも半世紀近く知らされることがなかったのです。心心さんはきっと書きながら誰かが勇気を持ってこの隠ぺいされた真実を後世の人に伝えなければと思ったことでしょう。最初の章である「台湾受難編」は多くの人に是非読んでもらいたい個所です。そのほか、台湾の風俗習慣、旅行記、エッセイ、詩などが収録されています。昭和3年(1928年)生まれの心心さんは終戦の前年に台中第二高女を卒業し、小さい時から書くのが大好きだったとのこと。第二高女の同窓会誌(紙)にも毎回必ず投稿しておりました。「私は台湾語で書きたくても文字がない。中国語で書くのは自信がない、自分の素直な気持ちが表現できるのは日本語だけ。でも子供や孫たちは日本語が分からない。私が日本語で書いても読んでくれる家族がいない。」でも心心さん、息子の治平さんは2集の前文のこう記したんじゃありませんか。「母の一心に書いている心境、母の過ごしてきた世界を子に孫に残したいと、一字一字と書き連ねている気持ちが伝わってくるのです。不可解な日本語の文章は、私たちにより多くの想像と懐古の情をもたらすばかりでなく、私たちの家族の成長過程であり、永久に私たちの心の中にしまっておくべき宝の蔵なのです。」とそうなんです。この本の素敵な表紙や挿絵は娘さんが描き、心心さんの家族にとっては宝物になったのです。ぼくにもその宝物を分けていただき、有難うございました。台湾で日本語族と呼ばれている人たちはあと10年もたてばほとんど書ける人はいなくなってしまうことでしょう。それ故に心心さんのような日本語族の人たちが書かれたものは、自分にとって宝物であり、本棚の中で最も貴重なものが占める位置に並べていくつもりです。心心さんは、本を500冊しか印刷しておらず、日本で印刷したこともあり一冊当たりのコストが高くついたそうです。本の定価は二冊セットで3000円ですが、著者本人としては本の売り上げ代金はすべて東日本大震災の義援金にするとのことです。どうかお含みおきください。本のお求め先: 台湾在住者の方は、送料込みでNT1000元とのことです。購入ご希望の場合は 著者あてに直接メールか電話で申し込んでください。 劉心心さん メール <yehliu224@hotmail.com>,電話02-2341-7668 日本在住者の方で、購入ご希望の場合は下記あてに申し込んで下さい。 明巧堂印刷(株)宮崎県延岡市古川町82-10 電話0982-33-6327 メールアドレス 田口浩貴(こうき)社長 ktaguchi@mac.com読者の皆さんにも是非読んでもらいたく本日は良書紹介させていただきました。 taiwanyes 發表在 痞客邦 留言(0) 人氣(130)
日中衝突で台湾はどちらへ向かうのか
尖閣諸島は日中の間だけでなく、日台の間でも重要なキーワードとなっている。
大陸傾斜が続く台湾で、この事件はどう捉えられたか
(激論ムック 2010年11月号より転載)
「台湾の声」編集長 林建良(りんけんりょう)
● 味方を敵にする馬英九政権
2010年9月7日に起こった中国漁船と日本の海上保安庁巡視艇の衝突事件をめぐって、台湾各界はしばらく静観していた。馬英九政権は最初「尖閣問題は麻疹のようなものだ」と腫れ物を触るような姿勢だったが、国民党内部の親中派の圧力に屈して、尖閣諸島に抗議していく「中華保釣協会」のメンバー二人を乗せた船の護衛のため、十二隻の海上警備艇を派遣して日本の海上保安庁の巡視艇と尖閣諸島海域で対峙させた。
これはまさに中国の虎の威を借りた身の程知らず愚かな行動であった。これについて台湾に駐在する日本のマスコミの記者が、政府の記者会見の場で厳しく追及した。「尖閣諸島は台湾の領土だと主張するなら、なぜ中国漁船を尖閣海域から駆逐しないのか」と質問し、あるいは「これならいっそ、台湾は中国に併呑されたらよい」と吐き捨てていた。
台湾の最大紙である自由時報も社説で「敵である中国と同調して味方である日本に挑発とは」とし、馬英九政権は「錯乱状態に陥っている」と厳しく批判した。ところがこれらの批判に対し馬政権はなんと「中国とは中華民国であり、尖閣諸島は中国の領土であることは我が政府の立場とは何の矛盾もない」との時代錯誤的な声明を出した。
これはつまり、尖閣諸島は台湾の一部で台湾は中国の一部だから、尖閣諸島も中国の領土であるという無頼漢論法だ。
●「尖閣諸島は日本の領土だ」とあらためて表明する李登輝氏
この中国一辺倒の姿勢を親中派の代表格である中国時報は連日中国と連携して日本に対抗すべきだとの論文を掲載して、馬政権を援護射撃した。それに対し、自由時報は、尖閣諸島を中華民国の領土にする法的根拠はなく、尖閣諸島のために台湾そのものを虎視眈々している中国と連携をとるのは本末転倒としかいえないと主張、中華民国にはその所有を主張する権利はないとの見方をはっきり示した。
さらに李登輝元総統も「尖閣諸島は日本の領土だ」との従来からの主張を、10月18日の高雄市での講演であらためて表明した。彼が「おネエちゃんがきれいだからといって、私の妻だと言う人間がどこにいるのだ」などと、中国や台湾が領有権を主張していることを皮肉った。
●最初から政治の道具にされた尖閣問題
しかし、尖閣問題はやはり台湾と日本の間に刺さったとげのようなものである。そもそも日本が尖閣諸島を領有した1895年から1970年までは尖閣問題は存在しなかった。それまでの台湾政府が作製した地図と中学で使っていた教科書も尖閣諸島を日本の領土にしていた。尖閣諸島周辺での海底資源埋蔵の可能性が発表されてから、「それは俺のものだ(中国のものだ)」と言い出したのが、当時台湾を占領していた中国人の蒋介石政権であった。
そしてそれと平行して「保釣運動」(釣魚台防衛運動)が海外の中国人を中心に展開した。1972年の日中国交樹立、日華断交を受け、蒋介石政権は日本への抗議として日本との航空路線を断絶し、日本製品の不買運動を呼びかけたが、それと平行して海外中国人を中心とした勢力は「保釣運動」を台湾で大々的に宣伝した。
つまり蒋介石は「保釣運動」を日本への報復の一つの手段として利用したのだ。当時中学生であった筆者も毎日全校集会で「拒用日貨」(日本製品拒否)、「打倒日本」(日本を打倒せよ)とのシュプレヒコールを、校長先生の先導の下で叫んでいた。それ以外、あらゆる授業で釣魚台は「我が中華民国の領土だ」と聞かされた。
当時の独裁政権下での徹底したこの洗脳政策に筆者はなんの違和感もなかった。それどころか、手につけていた日本製の腕時計を「こんなものをつけられるか」と投げ捨てたほどであった。戒厳令を敷かれた当時の台湾の教育は中国式一色で若者が反日教育を愛国教育として教育され、見たこともない日本を憎むようになった。これは今の中国とそっくりな状況だった。
それから一年三ヶ月後、日台間の航空路線が回復し、日本製品の不買運動も沈静化に向かった。しかし、もはや尖閣問題は一部の「保釣運動」だけが騒ぐ問題ではなくなった。
一般国民の間で「釣魚台は台湾のものだ」という意識に深く植え付けられたからだ。無理もない。戦後の台湾では台湾史を研究することも勉強することも禁じられ、特に日本にも関わる歴史はタブーとされた。物事を深く考えない台湾人は尖閣諸島の歴史経緯に詳しいはずもなく、簡単に政府の言い分に納得してしまった。
●「台湾には情を」と呼びかける水野孝吉氏
さらに歴史問題とは別に台湾漁民の「伝統漁場」という人道的観点から捉える向きもある。日本は尖閣諸島と台湾を領有した1895年から1952年4月28日のサンフランシスコ講和条約が発効して台湾を放棄するまでの間、台湾人は日本国民であった。そして戦後も台湾の漁民は1972年にアメリカが日本に沖縄を返還するまで、尖閣諸島近辺で自由に操業していた。つまり、尖閣騒ぎが起こるまで、尖閣諸島の近海は台湾漁民の漁場の一部であったのだ。中国人が起こした尖閣問題が、いまだに日台間に刺さったとげとして残る原因の一部は、その漁民の生計に関わる人道的な観点によるものだと言える。
その実情を踏まえ、尖閣で灯台を建てた日本青年社常任理事の水野孝吉氏がミニコミ誌「ヴェクトル21」に「尖閣諸島に灯台を建てた一人として」と題して「台湾には情を」と呼びかけた。
彼は「中国には法と理の立場で毅然たる態度をとるべきだが、かつて日本国民であった台湾人には情を持って接するべきのではないか。そのためには、台湾に尖閣諸島は日本の領土であるとの前提で、漁業権問題交渉を通じて台湾の漁民に操業の許可を与えることは望ましい。」と、台湾と中国とは異なった姿勢で臨むべきだと強調し、さらに「その小さな一歩の譲歩が、実は台湾と日本の大きな安全保障に繋がるのである。」と結んだ。
この呼びかけは日本に対する深い愛情から生まれたものだと筆者は感じた。なぜならこれは台湾における中国傾斜の現状を危惧し、台湾を日本へ引っ張る重要な一歩であるからである。
実は水野氏の危惧はもっと深刻なところにある。それは今回の尖閣問題は台湾・中国の連合体対日本への様相に一転したことだ。
今までの尖閣問題に対し台湾政府は常に中国と一線画す立場で日本と交渉していた。台湾・中国連合体対日本ということを提唱しているのは親中派代表格である宋楚瑜親民党主席で、彼は中国と連携して尖閣諸島を奪還しようと公然に呼びかけている。2010年8月18日、産経新聞の独占インタビューで、尖閣諸島に関する主権帰属の問題を棚上げにし、漁業権問題を解決したいと発言したばかりの馬英九は、こうした親中派の強硬姿勢に押され、結果として中国と連携する最悪の形となった。
●多くの台湾人は日本に期待している
台湾人の多くはそれぞれ尖閣に対する異なった意見を持ちながらも、日本には毅然とした姿勢で中国に臨むことを期待していた。だから今回の尖閣問題の発生当初、日本政府の姿勢に多くの台湾人が勇気付けられている。
しかし、その後中国の恫喝にあっさりと屈した日本の無様な対応に、大半の台湾人ががっかりした。これでは、麻生元首相が提唱していた「自由と繁栄の弧」という価値観同盟にしても、所詮は実現不可能であり、絵に描いた餅に過ぎないと感じたからであった。
これほどの失政に対して岡田民主党幹事長は「中国の方が失うものが多かった」とのコメントを見せたが、台湾人には負け犬の遠吠えにしか聞こえなかった。
今回の危機から日本も台湾も学ぶべきものが沢山あるはずだ。その最たるものは、自国の領土を自国で守る意思を示すだけでは足らず、実際に守る行動に移せなければ意味がないということであろう。その行動とは今回でいえば、尖閣に自衛隊を駐屯させることだ。その行動こそが台湾人を励まし、台湾の中国傾斜の流れを止める原動力になると筆者は信じてやまない。
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山田吉彦 東海大教授
尖閣諸島と台湾との距離は約170キロメートル。尖閣・石垣島間とほぼ同じだ。中国は「尖閣諸島は台湾の一部なので中国の領土だ」と主張している。この主張は意味をなさないが、東シナ海の安定の鍵は、台湾の動向にあると私はみている。
馬英九総統は、今月1日に「東シナ海イニシアチブ」構想を発表した。この構想は、東シナ海の情勢に関して日本との平和・互恵を柱に対話を継続し「対立行動の自制」「争議の棚上げ」「海洋資源の共同開発に向けたシステムの構築」などを目指すものだ。これは、明らかに日本へのラブコールである。現実に馬総統は、同時期に与那国島に無許可で接近した海軍の司令官を叱責した。しかし、日本政府は、このような台湾の意思表示にまったく対応していない。
日本国内では、台湾情勢に関する信頼できる報道が少ない。的確なのは、本紙の吉村剛史特派員の記事ぐらいだ。他のメディアは、台湾報道といいながら中国の視点から伝えられているものが多い。一部のメディアは、台湾が中国と共同で尖閣問題に対処するという臆測記事を流したがまったくのデマである。筆者は8月に台湾を訪問し、国会議員、学者、官僚などと意見交換をしたが、中国との共同展開などあり得ないとの見解であった。
かねて台湾は、東シナ海の日本海域内における漁業の許可を要望している。閣僚クラスと会談したときも、漁業さえ認めてくれれば尖閣問題には触れないと話していた。この考えは、馬総統の東シナ海イニシアチブにも表れている。しかし、すでに16回も行われた日本と台湾の漁業交渉には進展がない。これは、外交問題、領土問題、中台関係など日本の縦割り行政では解決しえない内容が包括されているからだ。
東シナ海南部では、日台の境界線付近でマグロの延縄(はえなわ)漁をめぐるトラブルが絶えない。そこで、一部、台湾漁民に日本海域内での漁業を認めるかわりに、日本側の主導で漁場でのルール作りを民間レベルで進めてはどうだろうか。東シナ海問題における政府の対応は、遅々として進んでいない。尖閣諸島を守るのも民間主導の方が近道のようだ。
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